車椅子・天守をめざす 九

車いすでお城に行こう



車椅子城郭評論家・アシトド松井 (肩書きは臨機応変に) 

和田城(滋賀県甲賀市)

和田城周辺には川沿いにいくつもの中世の 城跡がつらなっているとうかがって、車椅子でスロープ化工事の完成したばかりのJR油日駅から行ってみたのですが、城跡は木々に埋もれてしまってよくわからず、案 内板らしきものをみつけたのですが、農道しかなく近づくこともできませんでした。
(平成16年取材)

和田城跡への標識と案内板と思われるもの

足利13代将軍・義輝が急襲されたとき、後の足利義昭が細川藤孝らと共に奈良より脱出しかくまわれ たところ、城主・和田惟政は織田信長と義昭を結び付けるのに功績があり高槻城(大阪府)主となるものの義昭と信長の対立が強まるなか、和田氏は高槻城を追われることとなります。


岩手館(岐阜県)

関ヶ原の散策に出かけようとしたのです が駅の構造上車椅子では下車することが 出来ず、予定を変更しとなりの垂井駅で下車して訪れました。館跡まではかなりの距離がありましたが、川沿いにおおくの鯉のぼりがむかえてくれました。
(平成15年取材)

岩手館跡と竹中半兵衛の像

関ヶ原に行けなかった著 者を鯉のぼりが迎えてくれました

垂井は織田信長に謀反の疑いをかけられた黒田官兵衛の息子松寿丸が、危うく殺害されるところを 秀吉の軍師・竹中半兵衛によりかくまわれたところ。松寿丸は後の黒田長政で彼にゆかりの木が館 近くに残されていました。


久保田城(秋田市)

久保田城には旅の行程の都合で朝五時前 に登城を試みました、二の丸までは入れ ましたが、本丸には階段と別のルートは 急勾配に阻まれ手動車イスで上ることは 出来ませんでした。二の丸に車椅子対応トイレがありました。再建された櫓が車椅子で入れるのではないかとの情報を得ていますが確認できていません。
(平成19年取材)

二の丸から表門を臨 みました

久保田城跡にて、早朝から散策されている秋田 市の皆さんに写真を撮ってもらいました

天守閣と石垣のない城と紹介されていました。城 主の佐竹氏は関ヶ原では西軍にくみしたため常陸 から秋田に国替えに。関東の城は石垣をつかわな い土の城が多く、佐竹氏は土作りの城のスペシャ リストと説明している書物もあれば、石垣をつむ 技術に精通していなかったのではという研究者も おられます。秋田駅を下車して城跡まではすぐ、あとは急な坂が上れるかどうか!?

車いすで行くお城めぐり  天守閣が無かっても、どこが城跡なのか良くみえなても、 とにかく車椅子ででかけるのだ!


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