車イスで全国のお城巡り 大阪城・名古屋城・岸和田城 四

車椅子城郭評論家・アシトド松井 (肩書きは臨機応変に) 

大阪城(大阪市)

大阪城は天守閣への渡り廊下跡を利用して石垣を超えるエレベーターがもうけられていました。天守閣内にもエレベーターがあり、車いすで最上階 からの展望が楽しめました。天守閣内部にも車椅 子対応トイレがありました。なお本丸へのアクセスは桜門がスロープ状でした。
(平成10年取材)

大阪城天守閣へのエレベーター

天守閣からの展望を楽しめました

平成18年に再度車椅子で大阪城を訪れ以下3枚の写真を撮影しました

大阪城天守閣

大阪城天守閣までのスロープ通路 大阪城天守閣内の車椅子対応トイレ

エレベーターの設置場所は、もともと大天守と本丸御殿をつなぐ橋上の廊下があったところで、このたびの新設にあたってはこの廊下の発想をうけつぎました平成9年3月(現地案内板より)、ということでした。

1994年にも大阪城を車椅子で訪れて
います。

「エレベーター設置」についての案内板

著者が車イスで初めて最上階にたどり着けたのが大阪城天守閣、復興 天守ではあるが文化財的価値を認められた建物だそうです。

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名古屋城(名古屋市)

大相撲名古屋場所のTV中継で、名古屋城天守閣からの階段があった部分の形態が以前と変わっていることに気づいたので、ひょっとしたらと思って訪れてみるとエレベーターが設 置されて車いすで入れました。内部にもエレベーターが設置されていましたが、最上階には階段しかありませんでした。
(平成10年取材)

改装前の名古屋城天守閣。天守閣からの階段の形態が変わっていることが分かりますか(1994年撮影)

名古屋城天守閣とエレベータ
(1998年撮影)

エレベータだけではなく非常用の階段もありました。

名古屋城の本丸・天守閣ましたにあった車椅子対応トイレの
マークは鯱ふうのデザイン。名古屋で行われた
デザイン博の影響でしょうか?

本来の名古屋城天守は太平洋戦争の空襲で焼失しているのですが、復興天守をつくるときに非常用の階段が設けられていたのではと思います。そのことが外部エレベーター設置に有利に働いたのではないかと想像しています。

金の鯱鉾で有名な徳川氏の天下普請の城、城下町は清洲から移され、加藤清正ら豊臣恩顧の大名も城普請に動因されます。意外にしられていないことですが、この築城の前にも城があり、この城で織田信長が誕生したそうです。

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岸和田城(大阪府)

車椅子で岸和田城本丸に入り、石畳が凸凹で転倒の危機を 何度か乗り越えての天守への到達でしたが、階段に阻まれ て天守閣内部には入れませんでした。お城の係りの方に記念写真を撮ってもらいました。
(平成15年取材)

城の歴史は南北朝の築城にさかのぼる。近年の調査で大阪の陣のため大量の武器を準備していたことが判明したそうです。白壁が大変印象的でした。

平成25年に岸和田城を10年ぶりに訪れてみました。以前なやまされた凸凹道や砂利道はすっかり歩道が整備され天守閣には入れなかったものの、天守の周りを車椅子で一周することができました。二の丸にある櫓は実はトイレで一階の石垣内に車椅子対応トイレがありました。
(平成25年取材)

岸和田城天守

本丸にある八陣の庭

二の丸多門櫓 実はトイレ

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