1 公共交通を利用できるまでに何があったのか
2 親切にしてもらったり 不思議なものをみつけたり
3 僕たちのバリアフリーは荷物用エレベータだった

アシトド探訪記3

僕たちのバリアフリーは荷物用(業務用)エレベータだった

荷物用でもエレベーターの設置されている駅が羨ましかった!

「私たちは荷物と同じ扱いなの?」という仲間の問に「ひょっとしたら社会の お荷物という面では正しいのでは!」と思ってしまいました。

懐かしの荷物用エレベータ(写真の駅は現在は乗降客用エレベータが あり、荷物用エレベータは取り壊されました)

一般乗降客と同じ条件で利用出来る綺麗なエレベーターを利用されている都市部の車 椅子利用者には理解し難い話しかもしれませんが、平成の初め頃は乗客用エレベータ ーのある駅は非常に少なく、JRや車椅子の鉄道利用に理解を示されていた大手私鉄 でも「駅にエレベーターが有る」といっても「荷物用」であることが珍しくありませんでした 。この「荷物用エレベーター」当然のことながらホームへ荷物を運んだり、ホームから出 たゴミ等を搬出するために使われていた物で、お世辞にも「お客様」と呼ばれる立場の 人が案内されて喜んでいただける環境ではありませんでした。著者自身は健常者時代 (車椅子常用になる前の元気な頃)、物流関係の仕事をしていたことがあり「荷物用エ レベーター」や「荷物搬入通路」になれていたことや、荷物用であってもそれを運搬する 仕事をする人も利用する、「人の道」であることを体験していたので抵抗はなかったのですが、車椅子利用者仲間では「私たちは荷物並みの扱いを受けている」と不満をもつ方 が多かったようです。私の住む地域のJR線は高架で気の遠くなるような階段を担いでも らえなければホームにはたどりつけませんでした。初めて荷物用エレベーターを京都で体験し たときには「荷物扱い」をうけたのでしょうが、担ぎ上げてもらうことを考えれば夢のよう な駅、なんて素晴らしい設備なんだと感動してしまいました。その後私の行動範囲の荷 物用エレベーターの幾つかは乗客用エレベーターの新設等により車椅子乗客の誘導 ルートとしては使われなくなったり、取り壊されてしまったり。荷物用エレベーターの一部には芳香剤が取り付けられていたりと、以前に比べれば少し綺麗なルートになっていました。

車椅子利用者が貨物車に乗せられたのですか?

2013年にへやを整理していて、20年ほどまえに買った障害者問題についてかかれた書物を見つけ読み直してみると、「車椅子利用者が貨物車に乗せられた」という記述があり、インターネットで調べてみると1960年代には車椅子利用者が貨物車に乗せられたとするサイトがみつかりショックを受けてしまいました。なぜなら1960年代は著者が生きていた時代で、私にとっては歴史上の出来事では済まないことだったからです。映画「シンドラーのリスト」ではユダヤの人々が家畜用の貨物車に乗せられアウシュビッツに連れて行かれる画面がえがかれていました。そういえばT4計画というのもあったし、感染の強い病気と誤解された人たちが貨物車で運ばれた話も思い出しました。「車椅子利用者が貨物車に乗せられた」ということが本当にあったのかどうか、著者には確認が取れていません。しかしそれが事実であるならば、なんてお気楽なホームページをつくっていたのだろうかと反省せざるをえません。私は車椅子利用者になってから1年ほどで、駅員さんや売店の方、そして一般の方の協力で高架駅の階段を担いでもらうことが出来、そのことを誇らしく思ってきました。でも駅の階段を担いでもらえること、そして客車(あえて電車とは書きません)にのせてもらえたことも、車椅子利用者にたいする理解がそこまで進んでいたことの賜物で、本人に誇るべきところなど何も無いのではないか?あまり深く突き詰めるとこのようなサイトは続けられそうになくなるので、新しい情報が得られるまで「荷物用エレベータ」の話を続けます。

またコンテナ貨物ばかりの時代の方にはご存じないでしょうが、昔は混合列車という名称で客車と貨物車を連結した列車が走っていました。
貨物車(郵便貨物)と客車を一体にした車両もありましたね。
(下段写真 混合列車 1970年代前半に撮影)

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僕たちのバリアフリーは荷物用(業務用)エレベータだった

そんな方がいるかどうか知りませんが荷物用エレベータ・乗車マニア向け写真集
(現在は使用されなくなったもの、取り壊されたものもあります)

JR京都駅

JR京都駅在来線の荷物用
エレベータ
(1990年代前半に撮影)

JR京都駅新幹線への荷物用エレベータにマスコミの方と共にむかう、正面の扉の奥は奈良線ホームの地下にある通路でさらに在来線の荷物用エレベータにつながっていました。もしベビーカーで利用したら暗くて赤ちゃんが泣き出しちゃったかも?
(1994年 平成6年 撮影)

業務用通路だから?案内板も無く、暗くて怖くて。でも車椅子マークの貼っているところもあったりして、
だから僕たちのバリアフリーは業務用通路で、荷物用エレベータだった。


JR新大阪駅

JR新大阪駅の荷物用エレベータは新幹線ホーム全てと、在来線の4つのホームのうち外側の二つにありました。新幹線ホームへの荷物用(業務用)エレベータは地下鉄に乗り換えるときや、駅のおみやげ物・レストラン街を行き来するために頻繁に使わせてもらいました。在来線はエスカレーターを使わせてもらうことがほとんどでした。今から(この記事を書いている2003年)思うと危険な事ですけど、バリアフリーが進む以前はエスカレーターは車椅子での重要なアクセスルートでした。

2003年に撮影したJR新大阪のコンコース階から新幹線ホームまでのようす。


JR岡山駅

JR岡山駅の荷物用エレベータ(新幹線ホーム)と
それに通じる地下通路
(1990年代後半に撮影)

JR岡山駅の荷物用エレベータ(在来線ホーム)と
それに通じる地下通路、上の写真とずいぶん印象が
かわりますね。
(1993年に撮影)

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JR高岡駅

JR高岡駅の荷物用エレベータ(在来線ホーム)とそれに通じる橋上通路、こういうレトロな雰囲気のエレベータにも各地で乗ることができました。


JR三ノ宮駅

JR三ノ宮駅の荷物用エレベータは1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で倒壊、取り壊されました。駅には車椅子対応エスカレーターが設置されましたが、エレベータが再度設置されたのは2004年(平成16年)のこと、10年近くの年月がかかりました。障害者のための復興は一番最後になるようです。

JR三ノ宮駅の荷物用エレベータ、後方には震災で倒壊する前の阪急三宮駅もうっつています。1993年(平成5年)撮影

JR三ノ宮駅の荷物用エレベータの撤去改修工事の様子
1995年(平成7年)撮影


そのほか各地で

このエレベーターの左端を通って裏側に
ホームが広がります。今ものこっているのかなぁ
(近鉄にて1992年撮影)

駅のホームからエレベータに乗ったら
百貨店の荷物搬入場にでてきたよ?
(名鉄にて2004年撮影)

著者自身は郵便貨物のあった時代の郵便局や、流通関係の仕事をした経験が有り、荷物の搬入やゴミの搬出も従業員の方が行うことを身をもって体験していたので、これらが人が通る通路であることを知っていましたし、別に荷物扱いやゴミ扱いをうけていたとは今も思っていません。でもきれいな乗降客用エレベータを当たり前のように使っている都市部の車椅子利用者やベビーカーを押すお父さん、お母さん、お年寄りや、すばやくエレベータに乗れる元気な人たちにも、こんなことがあったのだと知っていただければ幸いです。そして仕事場はお客様にみえるところはきれいでも裏舞台は見た目も実態も外からのイメージどうりではないことも知っていただければ幸いです。

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世の中は真実がどうであるかではなく、どのように見えるかで動くようです。




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