車椅子・天守をめざす 壱拾七

城めぐり・ひさびさに天守閣最上階に車椅子でたどりつけました

    上山城(山形県)

上山城周辺の地図を事前に調べて武家屋敷ののこる山手側から天守閣をめざせば大した坂もなくひょっとしたら平坦にアクセス可能では、などと考えて武家屋敷近くまでタクシーを利用したのですが、上山城天守閣は丘の上にあり短いながらも急な坂道がありました。手動車椅子で上るべきか思案していたら親切な旅行者の方が坂道を押し上げてくださいました。車イス用の出入り口が城の正面入り口から向かって左側にあり、事務室をとおって復興天守閣内部に入ることができました。上山城天守閣内部には車いす対応トイレ・エレベーター完備、内部の資料館の一部や展望台の外側には階段・段差のために入れませんでしたが、著者が車椅子でお城めぐりの旅行を始めてから天守閣最上階までたどり着けた二つ目のお城となりました。正面からの坂道は急勾配ということでしたので、城の前景が近くからみられなかったのは残念でしたが、武家屋敷の方にもどって途中で足湯に腕をいれて(下半身不随の著者は足には感覚が無くお湯の感触がわからないので)かみのやま温泉の気分をあじわいました。

(平成21年登城)

上山城天守閣

武家屋敷側からのアクセスでも上り坂がでも親切な方に押し上げてもらえました

上山城天守閣(上山城郷土歴史資料館)への車椅子での入り口

帰りには新湯というところで足湯に腕を浸けて温泉気分を楽しみました

上山城天守閣の最上階の展望室にはエレベーターで昇ることができましたが、外側の展望台に行くためには段差がありました

上山城にはエレベーターが最上階まで設置されていました 上山城天守から蔵王連峰を展望できました

木々に妨げられて上山天守閣をまじかにみることはできませんでした。正面にまわってみればという思いも。

上山城天守閣(上山城郷土歴史資料館)内部には車椅子対応トイレがありました。

戦国時代に最上氏の一族である武衛氏により築かれます。江戸時代初期には土岐氏により天守がきずかれ奥羽3名城のひとつにかぞえられたそうですが、元禄時代に土岐氏の転封されると天守閣もとりこわされてしまいます。現在の天守は昭和57に博物館の外観模擬天守閣として再建されたものだそうです。城の裏側の土台部分はコンクリートの壁のままつくられていたりと、車椅子用入り口をふくめてもう少し細かい復興天守をつくっていただきたかったのですが、温泉街のまんなかに武家屋敷と天守閣がそびえる「かみのやま温泉」は旅の魅力がいっぱい。とくに車椅子で上山城天守閣最上階から蔵王連峰をのぞめたり、足湯に腕をつけて温泉気分を楽しめたり、名物こんにゃく団子をいただきました。私のような車椅子城マニアの旅行者がわざわざ新幹線「のぞみ」「つばさ」をのりついでやってくるのですから、それだけでも上山城が温泉町の中心に再建された意義は大きかったのかもしれません。ライトアップされた上山城はさらに美しい姿を楽しませてくれました。(平成21年取材)


    池田城(大阪府池田市)

阪急池田駅(エレベーター完備)から北方へ平坦な道路が坂道になってきた所を右に曲がってさらに左に曲がり急な坂道を登ると右側に再建された城の門があり池田城址公園にたどりつけます。史実に基づいて再建されたものではないということでしたが。木造で造られた櫓風・展望休憩舎はなかなかのもの、豪華な天守閣風でない造りが逆に巨大天守閣が登場するまでの戦国時代の櫓をイメージさせるものでした。展望休憩舎1階にはスロープ通路で入場可能、また2階に上がるためのイスに乗り換えての昇降機も設置されていましたが、著者は利用しませんでした(著者は足の曲がりが悪く座位バランスが取れない状態ですので)。公園内に車椅子対応トイレもあり、池や空堀と思われる通路も復元されており、文化財的価値は少ないのかもしれませんが、良くつくられた城跡公園だと思います。著者は簡易電動で池田城址までの坂を上りましたが、坂道は急なものでした。それても貴方はお城に行くの?
(平成21年登城)

バス路線のある大きな道を北上すると池田城跡がみえてきますが、この方向からだと階段しかありませんでした

スロープ状の道(といっても急な坂道を登って池田城址へ

平成11年に造られた池田城跡の櫓風休憩舎にはスロープ通路で車椅子で入城可能 池田城跡の櫓風休憩舎の前には池や庭園が作られていました。また歩行困難な方が2階に上がるためのイス型の昇降機も設置されていました。

池田城跡公園内にある車椅子対応トイレ

池田城跡公園には入城時間の制限や休園日あるようですご注意お願いします

城主の池田氏は当初は細川氏に戦国時代には機内に勢力をもった三好氏に仕えます。池田勝正の代に上洛を果たした織田信長と戦いその後ゆるされ摂津三守護の一人になりますが、まもなく実権は家臣の荒木村重に奪われ、村重が有岡城(伊丹市)に移ると廃城になったのではと考えられています。(平成21年取材)