車椅子で日本全国お城めぐり 壱拾四

車イスでも城マニア

平成17年1月1日簡易電動車椅子の操作にも・すっかり単独外出にも慣れた著者は、JRの元日限定の割引切符を入手し、山梨県甲府市への日帰り旅行を決行しました。目的地は甲府城と躑躅ヶ崎館、著者の大好きな車椅子でのお城めぐりの旅。しかしそこには著者の予想をはるかに超えた積雪の中での車椅子での移動の限界、そして元旦ならではの事情が待ち構えていました。
 

まずはJR甲府駅前の武田信玄公の像の前で車椅子でやってきた記念撮影。観光ガイドブックには信玄公の像の背景には山が写っていて、やはり甲斐は山国だなぁ、などと楽しみにしていたら。

 

 

信玄公の像の背景は山ではなく明らかに記念撮影用に人工的にもうけられた樹木。やはり駅前に山は動かせなかったのか(動かざること山の如し)。こういうことも自らの車いすで行ってみないとわかりません。

 


甲府城(山梨県)
JR甲府駅から簡易電動車椅子で櫓を臨みながら、堀にかかる橋を渡って城内に、ここにで雪のため行われるはずだったイベントの中止案内をみつけるも、行けるところまでと甲府城跡を登り続ける。しかし途中でバッテーリー切れの警報音が・・。わずかながらも雪の積もるなかの甲府城登城、雪をかきわけ坂をのぼりる簡易電動車椅子と寒さによる著者の体力の限界は予想以上に早くやってきました。城内の案内図をみると車いす対応トイレなどもあるようでしたが、確認する余裕は残っていませんでした。

(平成17年取材)

 
甲府城の最高到達地点で記念写真これ以上登ることには危険を感じたのでJR甲府駅にもどることにしました。ですからここから上の状況については不明です。

公道から甲府城の櫓を臨む (写真上)

           甲府城の高低と積雪の状況がわかって頂けるでしょうか(写真下)

甲府城には柳沢吉保などが城主となりますが、その後は甲府勤番という役職がもうけられます。しかし天下は太平、甲府勤番は閑職だったとうかがっています。戊辰戦争の際、江戸城の防衛拠点としての役割がようやく実現することにになり、新撰組の近藤勇局長らが入城をこころみますが、官軍の方が先に甲府城を押さえてしまいます。

    躑躅ヶ館(山梨県)
甲府駅前から、リフト付バスに乗って武田神社(躑躅ヶ崎館)にむかった著者ですが、積雪と初詣の車列に阻まれ予定の4倍の時間で到着、運転手さんから今乗車しているバス が本日運行の最後の車椅子対応バスになると聞かされ、下車をあきらめ車窓からの見学のみで躑躅ヶ崎館を後にしました。
(平成17年取材)
バスの車窓から躑躅ヶ崎館の堀と石垣を臨む(写真左)

「人は石垣人は城」という旗がかかげられた武田神社の正面(写真左)

 

   
武田信玄の本拠地、「人は石垣・人は城」という言葉でも知られているように信玄公は自国に城を築かなかったといわれていますが、小規模ながらやはり城館といった印象をうけました。目前にしながら車窓からの武田神社参拝になったことはまことに残念でした。バスから下車していませんので、堀のなかの様子は全く不明です。

使い始めた簡易電動車椅子に対する過信、雪をかき分ける際のバッテーリーの消耗量、そして躑躅ヶ崎館は武田神社となっていて元旦には大勢の参拝客が訪れることなど、全く考えずに最後は簡易電動車椅子を手動に切り替え腕力をふりしぼっての甲府の城めぐりの旅になってしまいました。この件が文字どうり骨身にしみた私は、車いすでの冬の旅はできるだけ南のほうに出かけるようになりました。雪景色もまたいいものですが、車いす利用者が単独で公共交通利用の旅というのは大変です。