車椅子・天守をめざす 壱拾弐

車イスでも城マニア

    土浦城(茨城県)

本丸の櫓門が江戸時代から現存する建物として残っています、また西櫓と東櫓が復元されています。櫓門からは段差が数箇所あって車椅子では入ることが出来ませんでしたが、すこし横にスロープ状の通路があり本丸にたどり着けました。また城門には板を渡して、スロープ状にしてあったり。内部の様子は確認できなかったものの車いす対応トイレも公園内にありました。絵図や城発掘の様子を記した資料をいただいたのですが、多くの城跡でもそうですが残っているところは元の城の面積からすればごくわずか、それでも、かぎ状にまがりくねった道路と蔵が残っている町並みがあったりと、城下町の雰囲気も味わえました。土浦城は著者が健常者時代最後に訪れた城跡で、二十年以上の時を経て再び入城することができました。
(平成21年入城)

現存する櫓門が土浦城のシンボル

土浦城の櫓をバックに記念撮影

城門にスロープ板がありました。 城跡公園内にあった車椅子対応トイレ 城下町の雰囲気の残る街並み

土浦城主の菅谷氏が秀吉の小田原征伐の際に徳川氏に城を明け渡し家康の次男で秀吉の養子という立場であった結城秀康の領地となります。その後、徳川譜代の土屋氏などが城主となります。


    中津城(大分県)

中津城の中心部まではたどりつけましたが復興された天守・櫓までは少しの石段があり、また櫓・天守閣にはいるためには階段しか見付けられませんでした。比較的簡単に天守閣目前まで行けたのですが、特に車椅子登城者に対する配慮は見付けることが出来ませんでした。
(平成20年取材)

天守閣真下までもう一息のところに石段がありました。写真の位置が今回の車椅子での中津城最高到達地点です。

   

豊臣秀吉の軍師であった黒田如水の築城による水城、その卓越した軍事能力ゆえに小録に甘んじることとなった、如水が関が原の戦いの際、九州各地を攻略、第三の勢力として天下取りをめざしたといわれています。江戸時代の中津は奥平氏の城下町となり幕末には私が大好きな福沢諭吉先生(写真の入った券をいっぱい集めようとしているがなかなか手に入らない)の故郷としても知られています。


    松代城(長野県)

松代城(海津城)の本丸にはおおむね平坦に入城することができました。また門の敷居にスロープが設けられているなどの車椅子利用者にも役立つ配慮がされていました。一部石垣の上などには登ることはできませんでした。
(平成16年取材)

城内に入る門にはスロープ板が敷いてありました

石垣の上などには車椅子ではあがれませんでした。

海津城ともよばれ武田信玄が越後の上杉謙信との戦いの前線基地としていたお城。江戸時代には六文銭の旗印で有名な真田氏の居城となります。関が原の戦いの際、真田氏は親子・兄弟が東西両軍に分かれるという生き残り策で大名として存続することができました。また城跡から長野電鉄松代駅(取材時点では車椅子での利用は困難でした)をはさんで反対方向には真田宝物館があります。