車椅子・天守をめざす 壱拾九

    伏見桃山城(京都府)

著者は子供のころ、伏見城天守閣に入ったことがあり、ひょっとしたらエレベーターで上がれたのかも、と期待を膨らませていったのですが、城内部は公開されておらず、また天守前の石垣までに石段があり、登城することは出来ませんでした。天守閣裏側のトイレに車いす対応したものがありました。伏見城までは長い坂道が続き簡易電動で上り続けました。天守閣は閉園した遊園地のシンボルとしてたてられた模擬天守閣で本来の場所とは別の所につくられているのですが、その大きさと華やかな外観、そしてつくられてから年月を重ねたことにより、伏見城のイメージを決定付けています。周辺は運動公園として整備されていましたが、天守閣までは段差があるところが多く、段差解消された場所を探しながら天守閣石垣の下まで車椅子でたどりつけました。
(平成22年登城)

伏見城の天守閣

こういう段差解消の場所を見つけましょう

伏見桃山城の天守閣下の車いす対応トイレ

伏見城には長い上り坂か続きます

今は「織豊時代」という言葉が使われますが、「安土桃山時代」とよばれた豊臣秀吉の時代を代表するお城。秀吉もこの城で亡くなっています。その後、徳川家康の上方での活動拠点となり、関ヶ原の戦いの前哨戦で落城します。


    岡崎城(愛知県)

名鉄・東岡崎駅(エレベーター完備)から、名鉄のワンステップスロープ付き路線バスで岡崎城のある岡崎公園前までたどり着くことができました。公園内は砂利なのですが、一部に舗装してあるところがあり三河武士の館家康館などを楽しむことが出来ました。しかし岡崎城方向には砂利道しかなく手動車椅子では走行不能に、「お城には階段がありますよ」との案内をうけて城裏側からの写真撮影であきらめてしまいました。三河武士の館家康館の関ヶ原の戦いを再現した、動く屏風絵「屏風ビジョン」が印象に残りました。三河武士の館家康館内部と公園内に車椅子対応トイレがありました。
(平成23年取材)

岡崎城天守裏側、非常階段が目立たぬように設置されていました。

浜松城のページでもご紹介した自らの弱さを知っておられた家康公(平成23年撮影)

三河武士の館家康館から天守閣にむかうものの砂利道に阻まれてしまいました。

戦国大名・松平氏の居城で、松平元康(のちの徳川家康)が生まれたところ。江戸時代には城主として入城した徳川譜代の大名が幕府重役へと出世していった城として知られています。


龍野城(兵庫県)

本竜野駅がバリアフリー化(エレベータと改札口外側地上階に車椅子・オストメイト対応フル規格トイレが有り)されたとの情報を得たので、行ってみました。本竜野駅からノンステップのコミュニティバスが高台まで運行されているようだったので、下っていけば楽に行けるとかんがえたのですが、訪れてみるとノンステップバスは故障でツーステップバスによる代行運転。でも揖保川を渡っていってみることにしました。龍野文化資料館への城門前の道がスロープになっていて、簡易電動車椅子で上ることができ、本丸御殿や隅櫓を見ることができましたが、残念ながら中にはいることはできませんでした。
(平成25年登城)

龍野城・城門

城門横にスロープ通路があり

龍野城隅櫓 大きく迂回すと隅櫓裏側に行けました

隅櫓・裏側からだと印象が変わる

本丸御殿

龍野城には山城時代と平山城の時代があり当初は赤松氏、その後織田信長の中国攻めにともない羽柴秀吉の家臣、蜂須賀、福島氏などが城主となります。江戸時代に城主となった脇坂氏は外様大名でありながら老中を務める城主がでるなどして城下に繁栄をもたらしたそうです。


少し一服

お城のバリアフリーてしてもいいの?

敵が攻めてきたらバリアーがないとこまるでござる。トイレの前にも段差がござる。

<侍A>


お城だから敵が外から入りにくくつくってあるのはしかたないけど、せめて車椅子対応トイレの手前ぐらいはバリアフリーにしてもよいのではござらぬか。

<侍B>

こんなところまで、車椅子利用者が単独で登城してくるとは思ってもおらなんだでござる。

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